今日の鍾軌さん
場所=東京!
京都は
新島襄・八重宅にて しかし私太ってるナ。肉がはみだしとるやん〜〜
幼少の頃、当時は塾も少なく、お稽古ごとは算盤とピアノでした。
私もピアノ習ったけれどあっさり挫折。
・・・算盤に至っては、
1+2 +3+・・・=55なのに、
今でも絶対に55にならず。(54か56になってしまうねん。なんで?)
算盤の挫折が、今の天才的な数学音数痴の私が出来上がってしまったのでございます。
八重さん、ほんとうに翔んだ女性だったんですね〜〜
1868年(明治元年)八重さん24才にして
会津鶴ヶ城で大砲隊を指揮して官軍を迎え撃つも、
会津藩降伏で京都に行くのですが〜〜
明治5年、英語を習得し、日本初の女学校「女紅場」の舎監となる。
明治9年・31才。京都初の洗礼をうけた婦人となって、新島襄と結婚
同年、新島は同志社英学校を開設するのですね。
ここまでの人生もすごいけれど、これからも凄い
明治25年新島が死去すると、八重さん46才にして看護免許をとり、
日清・日露戦争の負傷者の救護活動に邁進するんですよ〜〜
まさしくハンサムウーマンですね。
通常は予約参観みたいですが、今年はドラマにあやかり一般参観できるので、
京都旅行のさいには、是非お立寄よりを!
屋根上に2体の鍾軌さん。ここは京都?
いえ、東京は人形町。立派な料亭が並ぶ一角です
上写真左側
右側
東京には鍾軌さんはないの?と外出の折には探してました。
少ない・・・少ないけれど、嬉しいことにある!のですよね。
神田明神下にて
この鍾軌さんは、お江戸の守護神神田明神、
その門前にある、旧中山道沿いの「天野屋」ゆかりの茶店横にありました。
天野屋は、1846年創業の有名な甘酒屋さん。
都内の鍾軌さんは、戦後のものばかり、と思っていたら、
元来あったんですね。東京大空襲で消失してしまったみたいです〜〜
冒頭の鍾軌さんは、この鍾軌さんのお顔です。
そのハンサムぶりに、
なんとなく、八重さんに似ているな、と思いました。
横浜にもあった!
それは、横浜・元町にありました。
中国友人達が、上手い「魯肉飯」を食べたいとの所望で中華街へ。
その道すがら、いつもとちがう路地を歩いたら、彼に遭遇したんです。
なんだか、京都の鍾軌さん習俗が、全国へ拡大していってます。
やっぱり道草はいいなあ〜〜
さて。
やっぱり、どうしようもなく・・・2月明けまでブログお休みします。
では2月に再見!
追伸・・・アイリス2、秋田でただいまロケ中。
今月24日から来月 4日まで。
これ以上の情報は、一切非公開です
(前回アイリス・ロケでは、大混乱が起きたからだそう)
でも秋田魁新報には、ロケ隊来日の記事は出ましたし、
ロケに遭遇した人達が、twitterなどにもあげています。
大寒波襲来で、ロケもたいへんそうな〜〜