8~9話にかけて 14本めアン先生。ゴヌクとダルヒが逢い引きしているのを見ちゃって、気分が最悪
そういうとき、アン先生とダルヒは本院である韓国病院に呼び戻されることになって。
先生、いっしょに行きましょう。
私を(助手席に)乗せてください
いいぞ!
ということでアン先生とダルヒ。車に仲良く並んで座って・・・
ダルちゃん。手に持った飴を「オッパ、あ〜〜んして」
飴を持ったダルちゃんの、指先ごと口に入れちゃったアンちゃん。
「ダリヤ、今夜はお前の全てを食べるぞ、いいな」
いやあああああ〜〜ん!
だから、こうなりました
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めでたし・めでたし
「この愛こそ命」 アンとダルの純愛物語、終わり
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ちごとっと〜〜!
ほんとうはこうなのだ
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どけ!
どけ〜〜!
アン先生、ほんとはダルの顔を見るのが辛くて悔しくて・・・
でも、彼女を一人でソウルに返すわけもいかず、後部席にしぶしぶ乗せたわけやけど、
ダルヒは何でアンちゃんが怒っているのか、皆目見当つかず。
さて、韓国病院に戻った二人には、何が待っているのでしょう〜〜
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あたしが、おごるわ
中国語の一人称代名詞は我=wo(ウオ) のみ。男女の区別もなし。
私は、アンジュングンです
しかし、日本語の一人称の異常なほどの多さは、翻訳の迷宮。
基本=私がチャン・ギジュンです
訳例1=僕が々だよ
2=俺、々。
3=小生が々と申します
番外編 余が々じゃ
我が々なり
吾輩が々である
拙者が々でござる
わしが々でおます
あっしが々ってんだ
おいどんが々でごわす
おらが々でごぜぇますだ
それがしが々でござそうろう
麻呂が々でおじゃりまする〜〜
*この写真場面、私はギジュンが電話を受けた側と設定したので
僕がギジュンと訳したけれど、中文ではがとはの区別はあまりない*
一人称代名詞の現代語 男性の場合
私(わたし、わたくし)僕、俺、わし、自分、当方、etc
女性の場合・・・あたし、あたい、うち、etc
日本人もその使い分けの根拠を知らず、ただ雰囲気で話していると思う。
まして、
日本語学習する外国人が、僕と俺の違いはわからないだろう。
その点、中国語は楽勝!なんたって「我」しかない(古語は別として)
けれど、我しかないからこそ我という主語が重要だ。
日本語は自己を主張しない言語=主語がなくても通じる。
しかし、中国語は英語と同様に必ず主語を要する。
日本語は相手がどう思うか、相手との関係性を重視するから、曖昧を好み断言を避ける
中国語は自分がどう思うか、主体性を重視するから、すぐに結論づけてしまう。
昨今の、
中国の傲慢な態度に、辟易している日本人が増えたかもしれないが、
中国は人口が多いし、厳しい自然の中、
人々は、5000年世の戦乱の世を行きて来たから自己主張が強く、それが独善的にもなる。
対して日本は、豊穣な国土に恵まれ、人々は温和。
ゆえに和を保ことが優先され、異見を嫌った。
言語が先が文化が先が、卵と鶏ではないが、
ともかく日中両国人は、似て非なる人々だけは確かだ。
似て非なるからこそ、私はそこに面白さを感じているわけだけれど・・・
しかし。
みども、それがし、拙者、余、愚僧 わらわ あちき・・・
日本語の豊穣さに右往左往しながら、そこが翻訳の醍醐味ですねえ〜〜
*日本語学校の教師が、生徒の外国人の眼をとうして、日本語の疑問を描いた漫画。
日本人の知らない日本語1、2」 面白いですよ。 ついでに中国嫁日記も。